2022年3月3日木曜日

子供のときに”夢”を持つべきか?


夢を持つことは、そこに向かって走り続けることができるすばらしいことかもしれません。また目標を明確に持つことは具体的な方法を導き出すことにもつながるかもしれません。そういった意味で、夢や目標は持つべきだというアドバイスを大人から受けるのだと思います。

 現在、僕は医療現場に携わっています。医療とは、患者の体を”治す”ことに視座が置かれます。体を治すとは、動けるようになる、痛みがなくなる、生活ができるようになる、さまざまなゴールや目標にあふれています。しかもそれがひとりひとり違うわけです。

 例えば、交通事故にあって包帯ぐるぐる巻の寝たきりの状態のときに、「あなたは今後どうなりたいですか?」ときくでしょうか?それが治療に必要なことであったとしても。。。。僕がイメージする”夢”とは、ゴレンジャーなんです。

 愚息に「大きくなったら何になりたい?」と聞くと、決まったように「〇〇レンジャー!」というわけです。おやは実現できないことだと思っていても、「いいね、頑張ろうよ」というわけです。

 でもこれが高校生や中学生に聞いて、「〇〇レンジャー」では、怒られるわけです。「もっと具体的なゴールを描け」と。〇〇レンジャーほど具体的な物はじつはないですよね。「暖かく人の優しい人間になりたい」というゴールは、かなり抽象的ですよね。どう答えればいいのでしょう。。。。そうなんです。ここがポイントです。「相手がどんな答えを待っているか」ということです。世の中の質問に関しては、概ね真意が隠されています。「(私は、この事案に関してはこうおもっているんだけど)あなたはどう考えますか?」となるわけです。

 「夢」という単語だけで考えれば、まったくもっと正解です。カマキリになりたい、働かないで生活したい、空を飛びたい、どれも正解です。

 でも聞いている方の真意は違います。「君は数年先どうなっていたいのか」ということなんですね。しかもすでに質問者の評価は始まっていますから、「歌手になりたい」といくら具体的なことを語っても、「歌唱力」に関して知らぬ間に評価されているわけです。「君ぐらいの努力だとなれないし、ごまんとなりたい人がいるよ。その中で生活できるの?」と決めつけられます。


概ねは「未来の生活に困らないかどうか」で判断していることが多いと思います。


 以前のブログにも書きましたが、10年後には20%以上の職業が消えます。30年後には半分以上がなくなります。それだけ技術や社会が変われば、仕事も変わるのです。医者の仕事はなくならない? いや、そうでしょうか。僕の肌感で言えば、30年後には人が行う医療行為は激減すると思います。医者の徒手での治療はいらなくなるでしょう。保育士さんはどうでしょう。自宅でのモニタ位rング技術や、フォローアップシステムがしっかりできれば、わざわざ感染率を高める場所に集める必要もなくなるでしょう。社会情勢によって今後の人生は大きく変わるのです。いわゆる「大人」が「決めつける」未来像は、いまは崇高であっても、あなた方がおとなになって、また社会人になったあとも、継続しているかは誰にもわかりません。


 それでも、夢を持つべきなんでしょうか?


 誤った理解を植え付けてしまうことにもなりかねませんが、はっきりいいましょう。
 夢を無理やりもつ必要はありません。


 それよりも、重要なのは、「選択肢を増やす」ことなのです。


選択肢とは選べるということですね。選ぶというには、それぞれの選択肢に条件が合致していなくてはなりません。提案された項目の一つしか条件が一致していなければ、それは「選べない」ということになります。


 これは親御さんにもいえることですね。「あなたは夢を持つべきよ」などと助言をするべきではありません。わざわざ数年も先を見据えるよりも、いまの目の前のことを誠実に、取り組んでいくことが重要なんです。5年後、10年後、20年後 なんてことは誰にもわからないのですから。もしこのように伝えたいのであれば、「私は」という主語をつけるといいと思います。「私はあなたにこうなってほしい」ということは伝えてもいいと思います。なにせ、保護者は子どもに無条件に投資をしているわけです。投資するのであればなにか花開いてほしいとおもう、下心はあって当たり前です。100万円が200万円にならないとお金を出した意味がないですよね。しかし注意しなくてはいけないのは、親子関係は”無償”なのです。愛に報いなくてはいけないというものでもないし、見返りを期待するものでもありません。もしどうしても子どもを思った方向に導きたければ、人生で一番近い存在である親自身が背中をはっきりと見せることしかありえないのです。


 こうやって、「夢」を考えていくと、わざわざひねり出してくるようなものでもないようです。今、目の前にあることを一つずつ、精一杯対応していくことで、選択肢が増えていくのです。何かの岐路にたったときに、自分がやりたい方向性を選べる力を最低限つけておきたいものです。


 今の僕が高校生時代に「お前の夢はなんだ」と教師に聞かれたら、「社会に出るとき、もしくは社会に出てからも選択肢をいくつか持てる力をつけたいと思う」と応えられる気がします。それは今の年だから出てくる言葉ですね。到底10代には思いつかないです。


 大人は我がふりを見ないで、子どもに指示をするものです。

 大人側は、君たちに「よかれ」と思っています。決して困らせようとおもているわけではありません。自分ができていたからあなたもできるはず。私はできなかったからせめてあなたには後悔してほしくない・などさまざまな思いを交錯させて、言葉を投げかけてくれます。


 言葉を一度自分に落とし込んで、ゆっくり考えてから返事をすればいいのです。その場で思いつきで言葉にしてしまうと、その呪縛があなたの行動を縛ってしまうことにもなりかねません。


 


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