2022年10月7日金曜日

塾頭がどのような学習をしてきたか。



2013年に起業して、株式会社AwesomeLife(オーサムライフ)での多角的な事業を行っているのが、塾頭の田中です。


当方は、いろいろと学習にトライしてきたほうだと思います。高校は偏差値を言えるほどでもないところに行きました。しかし大学はなぜか医療資格を取得するところに入学し、人生で最大に学んだと言えます。

そこで、自分が学びたい領域の学位を取得するべく、放送大学の科目履修生となり、大学での単位と、放送大学の単位をあわせて、新たな分野の学士を取得しました。そうなるとさらに上を目指したくなるもので、そのころには運も味方して、大学院博士前期課程に入学し、卒業。数年あけて新設の日本では全く新しい学問を基盤とした大学院 博士後期課程に入学しました。

大学院に行きながら、各学校で教鞭をとり、教師として生きていく予定でしたが、人生何があるかわかりません。いまでは起業し会社経営をしている状況です。

しかし基本はヒューマンサイエンスやメディカル領域なので、高校生からやっていることは変わっていません。それぞれのタームで方向性と深度が違うといった感じだと思います。


もともとそれほど勉強ができるタイプではなかった自分が、なぜ学問を学ぶことが嫌ではなくなったかというと、「FLOW(フロー)」を見つけることができたからです。


 FLOWとは日本語で言う「悦に入る」というのににていて、自分で自分自身の感覚に酔いしれて楽しくなることを指します。最近では「ZONE(ゾーン)」も類義語で使われることと思います。要は熱中できる方法と時間を見つけられたことが良かったようです。


 小さい頃から、「承認欲求」がつよい子供でした。誰かに見てもらいたい、褒めてもらいたい、そんな幼少期を過ごしていたと思います。しかし早くに実母が他界し、無尽蔵に肯定してくれる唯一の対象がいなくなりました。

 そんな多感な時期を過ごし、唯一得意であった運動にのめり込むことになります。中学では3つ、高校では2つの部活動を掛け持ちしていました。どれも成績をそこそこ残せたのですが、その反動で勉強がほぼ手つかずだったわけです。

 テストは来週に迫っている。でも内容がぜんぜんわからない。どうにかして勉強しなきゃいけない。どうしたらいいんだと毎日悩んでいた記憶があります。ラッキーなことにふと気づいたことがありました。「家で勉強するのって無駄じゃね?」という安直なものです。

 学校で学んで、なぜ家でもう一度勉強しなくてはいけないのか、単純に考えて2倍の時間がかかっています。学校で先生が懇切丁寧に教えてくれているんだから、そこで理解すれば家で完全とは言わないまでも、やらなくていい時間が増えるはず!と思ってからは学校での過ごし方を工夫するようになりました。

 まず視力が弱かったので、席を変えてもらいました。黒板の文字が見えないと一気にやる気が無くなります。字が小さい先生には「大きく書いてほしい」ともいいました。

 そして黒板を写すことを少なくしました。

先生方が黒板に書いてあることは、生徒が持っている教科書が基盤です。当たり前ですが。そこに書いてあるんです。印字してあるんです。なぜ書いてあるものを再度書く必要があるのか?と思ったわけです。掲載されていない図式や相関図などは書きましたが、それ以外は教科書にチェックを入れる程度になりました。

 そして試験対策です。僕の学生時代は「オリジナル教材が教員としての力量だ」という風潮が少なからずともあって、今のように販売されているような資料が配られることは少なかったように思います。そういう資料自作教師は、「自分の言葉」が大好きですから、それを理解しなくてはいけません。テストもそのとおりに書かなくてはいけません。

 逆にカリキュラムを遵守するような教師は、教科書を基盤にしていれば十分です。授業も教科書をベースに進みます。この2グループに分けることだけでも、自分の中で随分と方向性を持つことができました。しかしながら、亜種が何パターンが出てきます。それは適時対応していくしかありません。完全に分類することはできないと早めに見切りをつけたことは良かったと思います。


 最終的な「この学習の成果はどこに出すのか?」となると、


「受験」などになってきます。受験とはまさに公平、公正で複数の教科書を基盤に構築されます。そうなんです。教科書を理解すれば受験は合格するんです。

 ここに気づいてからは早かったです。参考書をたくさん買ってさまざまな切り口から学びましたが、覚えることではなく理解することに意識をしました。この「理解すること」が自分に向いていたのは「書かなくて良い」ということです。書く作業は、脳から上肢に司令を送りながら、頭の中で漢字や文章構成を考える。そして全体を俯瞰しながら綺麗にまとめていく。。。この作業の中に覚えるや理解するがなかったんです。最悪のパターンは、自分のノートを覚えること。これはいつになっても終わりません。

 勉強は有限なので、死ぬまでにいつか、ならばいいですが、明日のテストには間に合いません。理解をするのに、「書く作業」は必須ではないのです。その代わり、独り言が多くなりました。「これは、〇〇が✗✗ということなんだるうか。あ、そうか。△も絡んでくるのか!」という一人会話形式をとっていました。この場合しゃべることで頭の中で文章を構築し、耳から自分の声を聞いて覚えるというものでした。よく学習室では「うるさい」と怒られたものです。このやり方も自己肯定感を強めたやり方なのかもしれません。「ほら、ここで勉強しているよ、見て!」ということかもしれません(笑)


 まだまだ開発してきた方略はありますが、後々に語るとして、比較的学習についてはさまざまな苦労や、挑戦をしてきたように思います。

 いまもどうやったら早く本を読めるのか、ビジネスに身を置く状況としては一分一秒を大切にする感覚を磨いています。

 今日はちょっとした自分史でした。お騒がせしました。

2022年10月6日木曜日

なにができれば、”学力”と言える?




学力の定義はとても難しいです。

試験の点数が高ければ、「学力」なのか。通知表の評価点が高ければ学力が高いと言えるのか。


どれも人が関わる以上、評価の尺度はまちまちになります。例であげるならば、評価の感度が低い評価者の場合には、対象者全員の評価点は低くなり、感度が高い評価者であれば評価点にばらつきが出ることも考えられます。

教職者はいつでも公平に考えて、評価していますが所詮人間です。いつでも平常な判断ができるとは限りません。


ここで、教育要綱を紐解くと、学力の併記もありますが、文部科学省が大事にしていることに「生きる力」という表記があります。

これまたかなり漠然としているのですが、ボーイスカウトみたいなところに参加してサバイバル力をつけることなのか、料理や洗濯などの日常生活動作が自立することなのか。かなり学校教育とは乖離しますよね。

ここで定義している「生きるチカラ」とは、条文を読みこなしていくと、どうも「自分で判断できる力」のことを指しているようです。「チカラ」というのもまた漠然としていて、判断が難しいですが、「本人が発揮できる機能」と言い換えましょう。

これらを合成すると「自らが判断し、自らが行動できる機能を有すること」と解釈することができるのです。


 我々の領域では「自立」と「自律」という言い換えもできます。

 前者は、「みずからで動くことができる」ことを指し、後者は「自らで適正な行動を選択することができる」ことになります。


 言葉とは、短く簡単に伝えるために、言葉を短縮したり、読者の常識に任せた書き方にしたり、実は解釈が違うことはよくあります。

 「平服でいらしてください」

 この言葉も大変困ります。ただし、TPOを考え、披露宴であればスーツやドレスを着るでしょうし、発表会などはジャケットを羽織るぐらいに留めるかもしれません。これも「平服」をTシャツと短パンに捉えない常識的解釈が存在します。

 学力も、端的に「学ぶ力」と解釈するのは、やや足りないと言うことになります。


 お子様が、自らを制約しながら、自分のゴールに向かって努力する行動が取れているか。これができていないとなると、どの学年になっても依存的になり、「〇〇がやってくれなかったから」などといった他力本願になってしまいます。

 自分ができないことは、その領域の有能な方に任せていいわけです。すべてが実施できる「万能な」人材はいないので、領域ごとに任せる人を変えて良いと思います。


自分で動き出せるお子様の成長を得るためには、それらをアシストする役割の人材が必要でしょう。


個別学習塾は、二人三脚でお子様と学習に取り組みます。これは依存度を上げるのではなく、助走を一緒に行い、ゆくゆくは手を離しても、走っていけることを目指しています。


集団指導と個別指導の違い

 


 集団指導・・・概ね10名程度を小集団として指導を行う。

 個別指導・・・最大3人までを1教師が対応する。


 これだけの違いのように思いますか?

 さらに集団指導のほうが、よい結果が得られると思いますか?


 当方は、最大で100名の生徒を対象に、講義並びに実技の授業を行ってきました。そこでりかいできたことは、40名を超えると、学生の名前と顔が一致しなくなることでした。特徴的な学生は理解できますが、目立たない学生に関しては、なかなか記憶に残りません。


 教職の稀有な能力として、顔を覚えることができるのです。100名を4学年みていましたが、ほぼ全員の顔と学年は覚えていました。名前は覚えられませんでしたが。


 ここは教員の立場として、考えてみましょう。


 教本の内容を教えるというのは、実は「能力はいらない」のです。特に集団の場合には、決まった情報を伝えればいいのですから、大きな問題はありません。講義の時間だけの対応で終われば、対応時間をぐっと圧縮することができるので、もっとも効率が良いと言えます。しかし・・・・この集団全員が「この内容を理解するまで」付き合うとなると、実は時間がいくらあっても足りなくなります。

 一つの項目を伝えるのに、理解が早い学生、理解が遅い学生がどうしても存在します。いくら成績順でグループを分けても同じです。この場合、講師側とすればより高いレベルのことを理解してほしいので、上位陣が楽しく理解できるレベルに引き上げることが多いです。結果はいわずもがな、下位陣は理解がおぼつかず、不毛な時間を過ごすことになります。終わったとに理解したいがために講師に質問に行きますが、やはり説明はレベルの高い状態を再度伝えてもらうことになり、理解に繋がりません。

 学生からの評価は「あの先生が言っていることは難しくて理解できない。面白くない」もしくは「えこひいきをしている」とまで言われる場合があります。

 こういう対応をされてしまう学生は「話しやすい教員」のもとに相談に行きます。この教員は自分の担当講義ではないのですが、丁寧に教えることになります。これで学校としてはダブルスタンダードな状況が提供されてしまいます。本担当の先生の話は聞かず、仲のいい先生の話を聞くことになる。当然時間は数倍に渡って必要となります。最終的には習熟が間に合わないということになります。


 という、事例を毎年のように見てきました。ここで集団学習の限界を感じたわけです。どうも集団学習とは、理解を促す学習ではなく、「道筋を示すもの」だということです。Aという問題と解くには、Bという知識をもって、Cという解釈して、Dという判断をします。という思考の流れの例を伝えて、自分ならではどのような理解をするのか、自主学習で学ばねばなりません。実は集団学習に向いている学生というのは「自分で自分の強みを理解して、自ら学べる」ことが必要最低限の能力となります。

 この能力、学生全員が持っていてほしいですよね。しかし、持っているとすれば、学習塾にいかなくても学力があがるのではないでしょうか。


 成績が上がらない


 お子さんの課題はここにあるとおもいます。

 一人ではどうしても成績が上がらない = 一人での勉強方法がなかなか確立していない ということになります。

 そのような状況下のお子さんが集団指導で結果が出るかは、火を見るよりも明らかです。


 みんなと一緒に。〇〇ちゃんと同じところに。あそこにいって学力が上がっている。


 学力は、皆が同じように伸びると思われていますか?

 そんな事はほぼありません。一人ずつ別々に変化していきます。そしてタイミングよくいい課題を提示しなければ、伸びるものも伸びないのです。

 そのようなきめ細やかな対応ができるのは、個別学習しか無いのです。お子さんの足取りを見て、少しずつ前に進めて、時には手を話してみて一人で歩けることを見てみたり、最終的には卒業して一人で走り出してくれるまでの伴走者が教育支援者の役割だと思っています。


 もし家族が塾に行きたいといったら、間違いなく個別学習塾に通わせます。同じ投資をするのにもリターンの可能性が高いものに参加したいと思っています。隣の〇〇さんと同じだからという理由で投資をするという判断は僕にはありません。
 お子様に合わせた判断を提供してあげてください。

2022年4月13日水曜日

関塾のテスト対策のヒミツ 君の必ず成績が上がる

 


”必ず成績が上がる”なんて言って大丈夫?
実は大丈夫なんです。それは、以下の条件をちゃんと守ってくれれば必ず上がります。


先に、成績が上がらない人の特徴を5つ書いてみます。


1,疑心暗鬼

どんなことに関しても疑り深く、行動はするものの、心の底では「こんなことは効果がない」と思っている人です。このような気質をお持ちの方は、ぜひ単純なことから始めてみましょう。例えば、「前情報無しで映画を楽しむ」ことや、「全く知らない場所に散歩にでかけてみる」などを実践し、そのときに大事なことは「小さな楽しみ」を見つけることです。「このシーンは楽しかった」「この場所のここが可愛かった」などと肯定的な意識を持つことです。どちらかと言うと「たぶんこうなるだろう」とか「きっとこんな感じだろう」と自分で制限をつけた考えを持つことが多いと思います。少し厳しい言い方をすると、この読者が学生さんだとすると、たかが10年そこそこの経験で世の中を判断できることは少ないのです。映画にしろ多分概ねの作品が10年以上の経験を積んでいる人が何人も関わって作られています。その人達が面白いだろうと思う叡智を出し合って構築されているのです。評論家になったつもりで否定から物事を見てしまうことはもったいないのです。幅広い視野を保つ意味でも、まずは「いいところ」をみるように心がけてみましょう


2,他者と比較する

これはモチベーションを上がる方法でもありますが、逆に成果を感じにくい原因にもなりかねません。「比較」する方法に2つあるのはご存知ですか?それが「相対(誰かと比較)」と「絶対(唯一無二)」があります。簡単に説明すると「あなたは、○○ちゃんよりも5点低かった」(相対)、「あなたの成績は県内で〇〇位でした」(絶対)になります。

厳密な絶対基準などはなかなかありえないところではありますが、これらを基本にして「あなたを判断」されているわけです。決して「〇〇ちゃんよりも5点高い」ことを見ているわけではありません。一定の基準を持つことは行動の目標ともあなり、道ベーションも湧きやすいのですが、誤った目標の持ち方をしてしまうと、知らず知らずのうちに成果を得られていない時間を過ごしてしまうことが出てきます。

 相対比較の例で言えば

 「〇〇ちゃんよりも5点高い」(満点100点の場合)

 ・あなた:90点、〇〇ちゃん:85点 →条件達成
 ・あなた:5点、〇〇ちゃん:0点 →条件達成
 ・あなた:55点、〇〇ちゃん:50点 →条件達成

 結局どこを基準にするかで、自身の成績が変わってきてしまうのです。

 学習効果的には、真ん中と下段は「なかった」といていいでしょう。でも5点高かったことは正しいです。この5点高かったに意味があるでしょうか?

 〇〇ちゃんよりも、高かったことで優越感には浸れますね。それは意味がありますが、成績としては、受験の準備としては、ほぼ意味をなしません。よって他者と比較することはあまり良い効果を期待できないのです。できれば全国の同じ年代の中と比較することが大事で、学校の中だけで比較するのもやや危ういです。世の中って広いんですよ。同じ年の人が100万人以上いるわけで、その中で自分がどれくらいの位置にいるのか、またこの十数年における同じ年代だった時の成績と比べてどうかなど、見る視野を広げて絶対評価に近づけることが重要です。そのためにそういったチャンスに触れる場所に参加することは重要です。


3,ながら活動をしてしまう

 時間は限られています。よって、同時にできることをするとお得感も増します。お風呂に入りながら本を読む、ご飯を食べながらテレビを見る、食べながら話をする。どれも一般的にやっていることかと思いますが一見時間を大切にしているようで、残念ながら効果は分散しています。ここは大事なことなので、しっかり理解してほしいです。「あなたの瞬間的に使える能力は上限が決まっています」。漫画風にいうと戦闘力でしょうか。

 僕の戦闘力が100だとすると、お風呂に入りながら、本を読むことに関して、70:30の割合で戦闘力を配分したとします。お風呂に戦闘力が必要化はわかりませんが(笑)、本を読むという行為に関しては内容の理解やイメージを広げることなど、脳内をフル活用してその世界観に入るこむことが重要です。100をつかえば存分に楽しむことができるのに、たった30しか使わないのであれば、多分ストーリーも脳内イメージも構築できずに、「ただ文字を追った」だけに終始してしまうでしょう。よって同時進行を行うと、全てが薄まることが大いに起こります。

 しかし、戦闘力が53万だとしましょう。本を読むことがどんなに頑張っても100ぐらいで十分な場合は、52万9900を残して、行動が可能です。残りの戦闘力を入浴にも他のものにも同時に配分しても十分余るかもしれませんね。

 この持っている戦闘力が高ければ高いほど、ながら行動は可能なのです。10代の方々は残念ながら戦闘力がまだまだ低いのです。だからながら動作は引けるようにしていきましょう。一つ一つを着実にこなしたほうが結果を見ると早いことがたくさんあります。


4,会話を重視しない

 今更ながらですが、コミュニケーションは方法がかなり変遷してきました。メールやSNS、様々ですが、ここで重要なのは「コミュニケーションの基本」とはなんだろうかというところです。

 言葉を伝えること?
 意見を言うこと?
 相手の話を聞くこと?

 最も重要なのはリレーションシップなのです。相互作用なんですね。こちらの情報が相手を変え、相手の情報がこちらを変え、こういった情報のお互いのやり取りがコミュニケーションで、さらにいうとこの情報は文字だけにとどまりません。コミュニケーションには、バーバルコミュニケーションとノンバーバルコミュニケーションがあります。

 バーバルコミュニケーションとは、まさしくバーバル(言語)によるコミュニケーションなので、話す手順や、論理法、語彙や抑揚など様々な「言葉に掛かる」情報があたります。これだけでもとてつもない情報量です。一方、ノンバーバル(非言語)とは、言語に頼らない仕草、表情、見た目などです。実はこちらの情報がその関係性を判断するに、大きな影響を占めるのです。いくら言葉巧みにコミュニケーションをとっても、髪の毛がボサボサで、汚れた服装の場合には信用してもらえないだろうということになります。メールなどの情報のやり取りは圧倒的に情報量の少ないコミュニケーションになるので、そこで判断をしてしまうと大きな問題が生じます。「人と会ったほうが良い」というのはまさにこの情報処理能力を鍛えるために、人と触れたほうがいいのです。コミュニケーションは人間の社会性を高めてくれます。


5,自分らしさを優先してしまう

 この点は個性論と兼ね合いがあるので、記載は大変難しいのですが誤解を招かないように慎重に言葉を選ぶと、「自分らしさ」を意識することは重要ですが、それが社会に求めらているかは「わからない」ことにあります。

 自分で決めて自分で判断する自立した人間になる!と自分らしさを決めても、社会に入って会社という大きな組織に入った場合、そのような人材は必要でしょうか?少し広い視野で考えてみましょう。もし、「自分で決めて自分で動く人」だけがあつまった組織は一つの方向性に集約していくでしょうか? 容易に学級崩壊のような状況がイメージできますよね。この「個性を求める」とは、「自由にすること」とは少し違うのです。

 僕はテスト前にしか勉強をしないタイプだ という自分らしさを決めてしまうことは、今後の成長を阻んでいるかもしれないです。望まれることは、自分らしさを確立するのは年齢を重ねることで確実に出てくるもので、焦ることではありません。成長期に大事な能力は「真似る」ことなのです。うまくできている人の行動を真似ることは、成長の一番の早道です。自分自身の方法を見つけるのには、基盤がなくてはいけないです。その基盤を構築するためにもいろいろな人の方法を真似て自分で実践してみましょう。頭だけで理解するのではなく、まずはやってみることです。どれがあなたとマッチしているかはなかなかわかりません。


この5つが、「成績が上がらない人」の特徴です。

一つでも当てはまる場合には、少しずつ見直してみましょう。

これらをふまえたDr.関塾 東海大学前校の取り組みは生徒の状況を判断して、経験のある講師陣が検討を重ねて合わせた方略を提供していきます。

それは関塾本部が50年にわたって構築したノウハウが詰まっておりますので、お友達が提案する方法よりも効果が保証されているのです。


成績公表の早道はありません。答えを教えてもらってそれを覚えるだけでいいという学習とは全く違います。あなたが少しずつ理解していかなくてはいけないのです。生きた知識は「使える知識」でなくては意味をなさないのです。


 Dr.関塾 東海大学前校で体験を積んで成長していきましょう。




2022年4月12日火曜日

行きたい学校をどうやって決める? どうやったら行けるのか?

 


行きたい学校があるというのは幸せなことです。


大部分の学生が、「行けるところに行った」というのが本音ではないでしょうか。

かくいう僕も同じでした。

なぜか進路担当の先生に、「お前はここが合うと思うぞ」と言われて入学したら、合致していたので、今でもその先生には頭が上がりません

きっと先見の明があったのだと思います。ただしこういった先生方は極端に少ないと思います。


行きたい学校を決めるためには3つの条件があります。

1,通学経路

意外に軽視されがちで、いい学校ならば遠くても良いと思う場合があります。これはおとなになって社会人になっても言えることですが、通勤時間や通学時間は極力短いに越したことがありません。なぜならば残念ながら「デッドタイム」になりやすいからです。

通学に1時間掛かるとして、往復で2時間。一ヶ月で40時間以上。一年で400時間以上になります。それが3年で1200時間。 換算すれば60日程度の時間になるわけです。これだけあれば、成績向上も夢ではない気がしますね。ここを、330分に減らせば30日分が浮くわけですね。

いや、電車の中でもバスの中でも、勉強はできるという方はいるでしょう。満員の電車で?乗り換えが複数あるところで長時間集中してできる?書き込みもなかなかできないのに? などと制限条件を考えると、「ゼロよりもよい」ぐらいの状況で、決して「長時間の通学時間が良い効果を生んでいる」とは言えないはずです。とてつもない良い学校で成長をさせてくれるところでも、通学時間に寄る健康や学力への影響は十分検討する勝ちはあると思います。


2,通っている学生の雰囲気はどうか

学校の中の授業や、雰囲気を知りたいですよね。それは未入学者に取るとほぼ無理な状況です。大学になると外部履修生として登録することも可能ですが、基本は入学者のみの特権になります。(それで学費が発生しているわけです)入学前に体験することはできないですが、唯一「空気感を感じる」ことができるのが、「学園祭」です。内輪のお祭りではありますが、こういうときこそ学生の雰囲気を中で感じることができます。校舎の中の汚れ具合はどうか、服装はどうか、言葉遣いはどうか、など多角的に見ることができます。校内見学会などはきれいに整っているところしか見せてもらえないのは周知の事実です。(よほどのことがない限り大きくずれることも少ないとは思いますが、中には大きく逸脱していることもあります)

また時間があれば帰校時の校門前に数時間立っているだけでも雰囲気は見ることができます。守られていた校内から、社会人の一員として行動しなくてはいけない校外をどのように使い分けているかもみることで、校風がわかります。通学している学生の雰囲気が、画稿そのものと言っていいと思います。


3,図書館は充実しているか

 学校に行ってから、教師に学力面を丸投げすることこそ、ギャンブルに近い行動はありません。いい先生ならばあたりですが、そうでない場合、取り返しのつかないことになります。この失敗が後々の人生を変えてしまうことになるとすれば、完全にその時間を丸投げにすることはできないはずです。ならば保険的に自分自身で学力を向上させる努力はしていかないといけないでしょう。

 自分で学習する際に、一番いいのは通学経路に学習できるスペースが有ることです。塾やレンタルスペースなど借りるのもありです。もちろん自宅に帰ってから学習するのもいいのですが、人間は弱いものです。行動と環境は決めていたほうが楽な場合があります。

 リビングはご飯を食べるところでもあり、休むところであり、勉強するところであるとなると、時間によって使い分ける必要があります。リビングで京大が遊んでいる横で勉強するというのはなかなかの精神性が必要になります。小さいうちは遊びと勉強が同じでいいとは思いますが、「行きたい学校」を決める年代になれば、しっかりと棲み分けをすることが学力向上のコツです。

 ここは勉強する環境
 ここは遊ぶ環境
 ここはご飯を食べる環境


 とわけていくことで、その場所に行くことで必然と行動がでてきます。

 上記にいくつかの方略を示しましたが、一番コストパフォーマンスがいいのは、「学校の図書館」です。ここが有効活用されていたり、学習するスペースがあったり、きれいに整理整頓されていたりすると、学生の学習意欲を見ることができます。もちろん図書館は勉強するところではなく、書籍を読むところであるというのは当然ではありますが、書籍を読むことと、学習は違うとは言い切れないはずです。そういった学生にとって良い環境を構築できる活動をしている学校は信頼することができると思います。


 まだ行きたい学校なんかわからないと思っていらっしゃる方は、この3点を意識して複数の学校と関わってみてください。自ずと違いがわかってくると思います。学校選びはマッチングです。偏差値が良ければ、ネームバリューがあればというものではなく、自分と学校の校風がマッチしているかが重要です。

 昨今、学校の退学率も増えていると聴きます。これは選べる時代にも関わらず、ミスマッチを起こしていることが原因だと思います。まえもって情報収集し準備しておくことが重要です。我々がいいよと進めても、その感覚を得るかどうかは、本人次第ということです。



2022年3月11日金曜日

あなたの視点は「鳥」or「虫」

 


目の役割ってなんでしょう?

こんにちは。塾長の田中です。

僕は、医療での職業についているため、人体のことに関しては、少なからずとも多く知っていると思います。特に人体を”機能”で判断することに長けておりますので、心理的な心のゆらぎや、精神機能などはやや疎いかもしれません。

いくら「嫌だ」といっても、やらなくては宿題が終わりませんし、「やる気が出ない」ことは作業ができないことの理由づけにならないと思ってしまいます。当然子どもからは「鬼」のように思われています。愛情は注いでいるのですが。。。


とはいえ、目で見えないものは信じられない というわけではありません。我々の俗に言う目玉は、光を受けます。面白いことに、右目と左目は違う情報が入ってきているんですね。当然だと思いますが、カメラが二台横に並んでいることを想像すればイメージできると思います。でも我々は、見ているものが2つにダブったりしません。一つの画像に統合されていますよね?この仕組のすごいところは、大脳新皮質にあります。別々に見えている画像を、後頭葉(頭の後ろ側)で一枚に合成します。しかも個人によってかなり脚色されます。有名なことは、色などは個人による感受性がかなり違ってきます。男女での「ピンク」の分類は、微妙なピンクの違いに関して女性は細分化でき(明るいピンク、グレーが入ったピンク、青みがかったピンクなど女性は分類できます)男性はほぼ同じにしか見えないようです。同じ光情報でも着目したり注意したりすることで、その解像度は個人によって変わるようです。


目で見えている情報ですら、能の中で改変されますので、「どこから見るか」という視点に関しても意識することができます。いまあなたがこのブログを見ているのはスマホでしょうか?PCでしょうか? その状況を少し後ろから想像することができますか? また情報からイメージしたり、正面から覗き込んだりしてみてください。頭の中で結構自由に視点がかえられると思います。人の素晴らしいところは「脳内で視覚情報を自由い変換できる」ことなのです。これをメンタルローテーションと呼びます。

カーナビとかも、進行方向と上下があっていないと、左右側がわからないということもありますよね。そういう能力も重要なのです。

さて、物事を見るときにこの「視点」が重要です。事実か、解釈か、主観か、客観か、さまざまな立場でものごとを判断していきます。その個々の判断も重要ですが、どれくらいの「視野」でみているかも大事なところです。

目の前で「棒が倒れた」という事象を、棒の重さや接していた面積、摩擦力など細かく見ていくこと、これらを虫が木の幹に這っていて、その接している面を分析することに例えて、「虫瞰(ちゅうかん)」と呼びます。


虫瞰が得意なこと


それは、物事を細かく分析する能力です。なぜこの答えになるのか、なぜAとBは関係あるのか、小さな事実を積み上げて考えていくことは、教育機関ではとても重要視されます。

そういうことを積み重ねることで、物事の一次元的な因果関係を捉えやすくなります。幼少期などはまさに重要で、テレビを見ているとご飯が食べられなくなるという一次元的な因果関係を教え込んでいくことは重要です。

さて、この分析能力だけで、十分でしょうか?実はこれ以上に学習や人生において必要なことがあるのです。


それは、「鳥瞰」「魚瞰」です。


鳥瞰とは、字の通り鳥のように空を飛び、木全体、森全体、地形全体を見ることです。この視野の広がりを持つことは、練習しなければなかなか得られません。

ご飯と食べながら、このお米はどこで作られて、どの生産者さんで、どの地域で作られて、いつの年のものなのか、その年の天気はどうだったか、などお米にまつわる大局を見ていきます。

この計算問題は最終的にどこに結びつけることを狙っているのか、先を見据えることができているかということです。実は教師側はこの視点に立って、カリキュラムを構築し、シラバスを構成しています。決して1回1回が途切れているのではなく、連続性があり最終コマでは全てがつながるように構築しています。もしそのようなストーリーを作れているのであれば、先に教えてほしいですよね。

しかしカリキュラムは、先を見据えた公開はしてくれません。

これはいくつかの要素が考えられますが、


1,先にストーリーの結語を教えてしまうとネタがバレてしまったように思ってしまうから
2,予定通りいかないときに批判を浴びるのが怖いから
3,そもそも学習者に合わせているので、流動的であるから


などがあげられるでしょう。

大学ではこんな事はありません。1時間毎に何を教えて、具体的な到達目標を提示し、あわよくば毎回試験をして理解度を確認していきます。こういうカリキュラム構成が確実になされており、小さい目標を提示するシラバスを事細かに構築していきます。

なぜか、義務教育ではこのあたりに着目されることなく、ブラックボックスになってしまいます。小学生でも、中学生・高校生でも重要なのは、この「先を見る力」=鳥瞰 なのです。


 某有名な評論家が、同じことを「身長の例え」で表現していました。
 「若い子は身長が2cmだとする。そうすると目の前にペンが置いてあると、視野がペンで一杯に埋め尽くされる。ペンの裏にお菓子があることも、その先が崖になっていることも目に入らない。
 大人は身長が20cmあるとすると、ペンぐらいでは躓くこともないし、その先を見通しているので、目の前のことが何につながっていくのかを見据えて行動できる。この身長をもつことで「俯瞰力」がてにいれることができるのか、大人になるということである。流行に敏感な若者は、今の事象しか見えていないのでその虜になる。大人はその事象が刹那であることを俯瞰できるので行動をおこなさないのである」


 一般的には「先を見通す力」、専門的に言うと「俯瞰」、さらに虫瞰、鳥瞰と分類されます。いまあなたがこの文章を読んでいるときは、どんな視野で物事を見ているのでしょうね。


 ラテラルシンキングやクリティカルシンキングなどはまた別の考え方や物の見方になります。

 これも、おいおい説明していきますね。



2022年3月4日金曜日

子はかすがい。大人の背中を見て育つ子ども。

 


 少し専門的ではありますが、学習という学問についてお話ししましょう。なにか物事を学ぶということは、様々な要素があります。技術を学ぶ、生き方を学ぶ、話し方を学ぶ、考え方を学ぶ。「学ぶ」というのは多種多様的に使われる言葉の一つです。


 その学ぶ方法で最も古典的なものは「観察学習(モデリング)」があります。

 鳥類でも、哺乳類でも行っている学習で、親が獲物を取ることを「見て」、「学ぶ」わけですね。


言葉が必要なわけではなく、視覚情報としてあれば、それが学習につながるということで、子どもにどんな物を「見せるのか」というのは、じつはとても大きな問題なのです。


 しかし、今の社会では情報が溢れています。シャットアウトするには、なかなか難しくさらに、変化に親さえもついていけないことも多々あります。知らぬ間に子どもたちが、我々の知らない情報に触れていることもあります。情報を統制することは本当に難しいのです。


 「テレビを見せない」
 「漫画を見せない」
 「スマホは与えない」

 このような禁止で、情報統制をしようとしても、その抜け道は必ずあり、禁止されるがゆえに逆に興味が出てしまうのも人としての重要な行動の一つです。


 だめな理由をちゃんと説明されず、一方的にシャットアウトとされてしまうことで、納得できない人間は、その理由を模索しようと、あえて禁止されていることに首を突っ込んでしまいます。やってはいけないという指示は、あまり効果がないと言えます。


 


 「情報を制約する」ということは非常に困難なのです。



 では、どうすればいいのかというと、少しでも彼ら・彼女らに対して良質な情報に触れる機会を親が作ることにあります。さまざまな情報が入ってくることは致し方ないとしても、そのなかで良質な情報をあえて提供することはできます。


 「漫然とテレビを見るのではなく、NHKのドキュメントを一緒に見る時間を作る」
 「漫画を見せないのではなく、歴史物を忠実に再現している漫画を一緒に読む」
 「スマホを与えないのではなく、一緒に学習用アプリを使って楽しむ」

 という、情報を調整することが重要と言えます。



 これは生活においても同じことが言えます。掃除が苦手なご家庭の場合、お子さんも概ね苦手になります。好き嫌いがある親御さんを見ていると子どもも好き嫌いが多くなります。日常からみているものが、彼らの見本となり手本となっていくのです。


 


 しかし、親のただの人です。



 聖人君主にはなりません。子どもと接している時間がながければ長いほど、全てが正しく清廉潔白とはいれません。こえは致し方ないことです。子どもも十分それは理解しています。ただその情報だけを与えるのではなく、世の中には様々な通念があることも学んでもらうことは重要です。




 特に礼儀作法などは、まさに子どもは親の生き写しになります。



 こういったことを、伝え続けることは本当に大変なことです。だからこそそれを専門にしている人たちに力を借りるわけです。


 礼儀作法などが自分で教える力がないし、再現し続ける力がないと思えば、礼儀作法を教える教室に通って、見本をみてもらう機会を与えるのです。


 学習習慣を身に着けたいと思っておられるのであれば、保護者が自ら学習している姿を見せる必要がありますが、それはなかなか難しい。そこで塾などの専門の環境を提供することで身につくのです。




 観察学習はとても時間がかかります。さらに反復が必要です。



 一度学んだからと言っても、すぐに再現し続けることができるというものでもありません。学習習慣も礼儀作法もすべて何度も、何回も、何時間も、何日も、何年も、続けることで手に入れられるものなのです。




 さらに子どもは大人と大人をつなぐ「かすがい」になります。

 かすがいをご存じない方にご説明をいれると、木材と木材をつなぎ合わせるのに、組木とさらに補強する上でも、この字型の釘で接続します。これを鎹といいます。木材同士がより強固になるという意味で、「子はかすがい」と呼ばれます。さらにこのかすがいは、両方の木材に影響を受けます。また逆にかすがい(子ども)がぶれれば、木材(保護者)の接続が不安定になります。


 このお互いに影響しうる関係性を、共依存とも呼ばれます。早くから、独立した個人として関係性を構築することもあるでしょう。逆に成人後も依存性を構築する場合もあるでしょう。どのような立場であったとしても、距離だけではなく、その与えられた影響によりお互いが変化していくのです。




 模範となる大人の背中を見せることは、子どもが真似しやすい目標となるのです。

 今の時代、すべての保護者が対応することはとても難しい時代に来ました。ある意味役割を分担して、良い関わりがもてる大人と協力し合う関係性を構築することが求められているのでしょう。


 

 

2022年3月3日木曜日

子供のときに”夢”を持つべきか?


夢を持つことは、そこに向かって走り続けることができるすばらしいことかもしれません。また目標を明確に持つことは具体的な方法を導き出すことにもつながるかもしれません。そういった意味で、夢や目標は持つべきだというアドバイスを大人から受けるのだと思います。

 現在、僕は医療現場に携わっています。医療とは、患者の体を”治す”ことに視座が置かれます。体を治すとは、動けるようになる、痛みがなくなる、生活ができるようになる、さまざまなゴールや目標にあふれています。しかもそれがひとりひとり違うわけです。

 例えば、交通事故にあって包帯ぐるぐる巻の寝たきりの状態のときに、「あなたは今後どうなりたいですか?」ときくでしょうか?それが治療に必要なことであったとしても。。。。僕がイメージする”夢”とは、ゴレンジャーなんです。

 愚息に「大きくなったら何になりたい?」と聞くと、決まったように「〇〇レンジャー!」というわけです。おやは実現できないことだと思っていても、「いいね、頑張ろうよ」というわけです。

 でもこれが高校生や中学生に聞いて、「〇〇レンジャー」では、怒られるわけです。「もっと具体的なゴールを描け」と。〇〇レンジャーほど具体的な物はじつはないですよね。「暖かく人の優しい人間になりたい」というゴールは、かなり抽象的ですよね。どう答えればいいのでしょう。。。。そうなんです。ここがポイントです。「相手がどんな答えを待っているか」ということです。世の中の質問に関しては、概ね真意が隠されています。「(私は、この事案に関してはこうおもっているんだけど)あなたはどう考えますか?」となるわけです。

 「夢」という単語だけで考えれば、まったくもっと正解です。カマキリになりたい、働かないで生活したい、空を飛びたい、どれも正解です。

 でも聞いている方の真意は違います。「君は数年先どうなっていたいのか」ということなんですね。しかもすでに質問者の評価は始まっていますから、「歌手になりたい」といくら具体的なことを語っても、「歌唱力」に関して知らぬ間に評価されているわけです。「君ぐらいの努力だとなれないし、ごまんとなりたい人がいるよ。その中で生活できるの?」と決めつけられます。


概ねは「未来の生活に困らないかどうか」で判断していることが多いと思います。


 以前のブログにも書きましたが、10年後には20%以上の職業が消えます。30年後には半分以上がなくなります。それだけ技術や社会が変われば、仕事も変わるのです。医者の仕事はなくならない? いや、そうでしょうか。僕の肌感で言えば、30年後には人が行う医療行為は激減すると思います。医者の徒手での治療はいらなくなるでしょう。保育士さんはどうでしょう。自宅でのモニタ位rング技術や、フォローアップシステムがしっかりできれば、わざわざ感染率を高める場所に集める必要もなくなるでしょう。社会情勢によって今後の人生は大きく変わるのです。いわゆる「大人」が「決めつける」未来像は、いまは崇高であっても、あなた方がおとなになって、また社会人になったあとも、継続しているかは誰にもわかりません。


 それでも、夢を持つべきなんでしょうか?


 誤った理解を植え付けてしまうことにもなりかねませんが、はっきりいいましょう。
 夢を無理やりもつ必要はありません。


 それよりも、重要なのは、「選択肢を増やす」ことなのです。


選択肢とは選べるということですね。選ぶというには、それぞれの選択肢に条件が合致していなくてはなりません。提案された項目の一つしか条件が一致していなければ、それは「選べない」ということになります。


 これは親御さんにもいえることですね。「あなたは夢を持つべきよ」などと助言をするべきではありません。わざわざ数年も先を見据えるよりも、いまの目の前のことを誠実に、取り組んでいくことが重要なんです。5年後、10年後、20年後 なんてことは誰にもわからないのですから。もしこのように伝えたいのであれば、「私は」という主語をつけるといいと思います。「私はあなたにこうなってほしい」ということは伝えてもいいと思います。なにせ、保護者は子どもに無条件に投資をしているわけです。投資するのであればなにか花開いてほしいとおもう、下心はあって当たり前です。100万円が200万円にならないとお金を出した意味がないですよね。しかし注意しなくてはいけないのは、親子関係は”無償”なのです。愛に報いなくてはいけないというものでもないし、見返りを期待するものでもありません。もしどうしても子どもを思った方向に導きたければ、人生で一番近い存在である親自身が背中をはっきりと見せることしかありえないのです。


 こうやって、「夢」を考えていくと、わざわざひねり出してくるようなものでもないようです。今、目の前にあることを一つずつ、精一杯対応していくことで、選択肢が増えていくのです。何かの岐路にたったときに、自分がやりたい方向性を選べる力を最低限つけておきたいものです。


 今の僕が高校生時代に「お前の夢はなんだ」と教師に聞かれたら、「社会に出るとき、もしくは社会に出てからも選択肢をいくつか持てる力をつけたいと思う」と応えられる気がします。それは今の年だから出てくる言葉ですね。到底10代には思いつかないです。


 大人は我がふりを見ないで、子どもに指示をするものです。

 大人側は、君たちに「よかれ」と思っています。決して困らせようとおもているわけではありません。自分ができていたからあなたもできるはず。私はできなかったからせめてあなたには後悔してほしくない・などさまざまな思いを交錯させて、言葉を投げかけてくれます。


 言葉を一度自分に落とし込んで、ゆっくり考えてから返事をすればいいのです。その場で思いつきで言葉にしてしまうと、その呪縛があなたの行動を縛ってしまうことにもなりかねません。


 


2022年3月2日水曜日

資格・検定はとるべきか?

 


今日は検定や資格についてのお話です。

資格には様々なもおんがあり、国家資格と呼ばれるものが国が保証している資格制度でありますので、さまざまなメリットがあります。

例えば、その資格の人しかできない仕事=業務独占 であることは、この上なくメリットです。台頭されるものは、医師などが挙げられると思います。その他にも、会計士、税理士、行政書士などなど、さまざまな種類があります。

 これらは、その業務につく場合には資格を有していなければならないので、有資格者と無資格者ではスタートラインが違ってきます。よってすでになりたい業務が決まっているとすれば、早急に取得する道を探すことは良いでしょう。


 一方、国家資格以外の資格に関しては、「技能検定」または「民間資格」と呼びます。これは団体や組織がなにかしらの制限を設けて資格要件を付与するもので、法的な拘束力は低くなります。


 資格にも色々種類があることは、把握しておくことは重要です。

 国家資格は、人生において影響を与えることになりそうですが、技能検定や民間資格はどうでしょうか?

 この資格の活用度は有益に使えるものから、なににも使えないものまで、かなりバラバラです。だから資格を取得していれば、全てがすごいというわけではありません。

 では、役に立たないのかといえばそうでもありません。概ねの資格は年齢制限などがありません。受験資格も緩和されているものも少なくありません。大学を出ていないと取得できないという制限はほぼないと考えると10代でも20代でも、50代でも同じ土俵で資格認定ができるのです。

 この資格取得は「結果がすべて」というわけではありません。この資格を取得するまでにどのようなプロセスを踏めたかを確認することができるのです。


 当塾でも行っている「漢検」は、まさに漢検の級が上がれば、有利になるかといえば具体的なメリットはなかなかないでしょう。それよりも、この資格を取得するために、どれだけ漢字の勉強を頑張ったのか、また継続して一つのことに取り組めたかを見ることができます。面接や履歴書などで、同じようなレベルの比較をする場合、こういった資格を少しでももっていると「努力している証」として認識することができるのです。


 学生生活を送っている場合、学校の授業だけで手一杯になることが多いと思います。ただ〇〇中学校の3年生で90点をとったということは、履歴書にはかけません。資格に関しては取得して更新などをしておけば、一生伝えることができる”成果”なのです。


 そういった意味でも、検定や資格取得に挑戦することは、お子様の成長を見ることができるバロメーターになるのです。普段の学習にもプラスになりますので、チャンスを提供することは重要なのかもしれません。


 資格・認定に関しては、全体的にコツがあります。

 その学習方法にも触れていきます。


 

子どもに言ってはいけない言葉、3選。

 


こんにちは。


 日々育児に勤しんでいると、さまざまな言葉を伝えて、奮起させたりします。でもその言葉は正しい言葉であっても、子どもにとるとどう捉えるかは、わかりません。

 言葉とは、言霊というくらい相手にダメージを与えることがあります。いくら同じ内容でも、伝え方一つで変わってくることで、損をしてしまいます。相手の立場を少し考えられると言葉の選択を謝らないように思います。口に出す前、メールに書く前に、しっかり考えてから伝えることをおすすめします。


 今回は、子どもに伝えていけない言葉 3選をお伝えします。


・〇〇ちゃんと比べてー

 どうしても他者と比較することで、いまの状況や本人の評価をしてしまいがちです。こういった評価を相対評価といい、なにかと比較することを安易にしてはいけないのです。もし比較する場合には、もう少し大きな視野で言葉を投げかけることが大事です。

 さらに評価というと、「できない」ことにスポットを当てがちです。評価とは、点数で評価されることが多いと思います。65点であった場合、あなたはどう言葉掛けをしますか?

 これは、状況をどちらから捉えるかということであり、

 「100点まで35点も足りない」

 「100点満点で、65点も取れている」

 どちらも同じ状況です

 でも相手に伝わる印象としては後者のほうが前向きな気持ちを持つことができますね。


・勉強しなさい

 どうしても言いたくなってしまいますよね。勉強させたいわけですから。我々も経験があると思いますが、言われれば言われるほど、やりたくなくなるという人間は根底に自律性があります。言われて行うという自身のアイデンティティーを否定されるような行動は深い刺激しかありえないわけです。

 では、いわないでどうやって勉強されるのか。出来事というのは「モノ」「人」「環境」で成り立っています。出来事がうまく言っていない場合には、このどれかが影響を及ぼしている事が考えられます。よく転職などの相談で、「職場が悪い」から転職するという事が多いですが、果たして本当に職場が悪いのか、自分は悪くないのか、関わっている人(モノ)が悪いことはないか、細かい分析が必要なのです。もしこれが自身の課題であれば、転職してもまた違う場所で同じことを繰り返していくのです。逆にこの環境が変われば人やモノも変わるといえます。勉強しないお子さんは環境が悪いと考えるべきです。子どもは悪くないのです。また関わっている親はどうでしょうか。口うるさく指示をしていないでしょうか。

 これらを踏まえて、具体的にどう行うかは、親が行動を示すことにあります。

 親がテレビを見ながら、「勉強しなさい」といっても子どもはやりません。「遊びながら飯を食うな」といいながら、親がスマホみながらご飯を食べていたら行けないわけです。

 子どもに勉強をさせたいのであれば、親御さんも一緒に勉強しましょう。テレビでもタブレットでも勉強できますが、それはお子さんに何をやらせたいかによって変わってきます。もし紙に向かって記入するような学習をさせたいのであれば、親御さんもなにか書くような仕事をやるべきです。タブレットでの学習ならばこちらもタブレットで。こういった「背中を見せる」ことは環境要因としてとてつもなく大きな意味をなします。

 私が小さいときには、ご飯を食べながらテレビを見ることは禁じられていました。いまではそれがあたりめになっています。それがいいか悪いかはわかりませんが、マルチタスクは進捗を遅らせることは明白です。まずは「一緒にやる」というところで、スタートを切らせてあげることは重要かもしれません。それには彼ら彼女らのペースに合わせることが必要なので、親御さんの余裕を持った生活が重要になります。


・結果だけを見てしまう

 親御さんとしてわかることは、どうしてもプロセスを飛ばしてしまって、結果だけで判断してしまうことが多いと思います。社会においてはそういった評価が多いのは常識です。ただしお子様の場合、まだまだ未熟な誰かの支援がなければ育っていけない状況です。この状況で「結果のみ」の評価を求められると、全てが「不足」していることになります。すべてがマイナスです。

 結果を否定されてしまうと、その過程も否定されたというふうに捉えてしまいます。何日も、何ヶ月もかけてきたものが、一気に崩れ落ちてしまうことだって考えられます。保護者として行うのは、今後の人生の構築も含めて、適切なプロセスが適切な結果を生み出すことを、伝えていくことであり、プロセス全体を否定するのではなく肯定要素をちゃんと伝えて、そこは維持しつつ、うまくできなかったことを改変していくことが重要です。うまくいっていない理由はどこかにあります。今を変えずして新しい結果にたどり着くことはありません。頑なに今にしがみつくことが大事なときもありますが、うまくいっているところ、うまくいっていないところを適切に分類して、肯定しつつ変化を促すことが重要なのです。

 テストの結果だけ見るのではなく、そこまでどれだけの努力をしてきたのかそこを認め、今後どうやればうまくいきそうなのか一緒に考えていくことが重要なのです。


 最後に、怖い言葉がありますが「呪詛」というものがあります。
 口に出した言葉が相手に、見えない鎖を作ってしまう
 「あなたはこうなりなさい」
 「わたしよりも頭良くなりなさい」
 「必ずいい大学にいきなさい」
 こういった奮起する言葉が相手に「のろい」として根深く残ることもあります。そうなる前に、お子様の環境を税引することを考えていきましょう。


 社会に出ると努力が必ず報われるわけではありません。努力すれば必ず成功するわけではありません。この事実に直面するとやる気を奮起することは難しくなるのです。そのためにもプロセスを意識することを家庭内に根付かせていきましょう。


2022年3月1日火曜日

毎日の勉強が楽しくなる方法、3選

 みなさん、毎日の勉強を楽しくしていますか?



自発的な勉強を楽しくするには、ゲーミフィケーションの方法がとても重要になります。

基本は楽しくないわけです。勉強は。どんなに頑張っても面白くないのです。


楽しくする、「工夫」が本人が、できなければ家族がする必要があります。


この勉強をゲーム化するには、どうすればいいのか。

それは、まず「Record」です。日本語で"記録"ですね。

時間を記録、ページ数を記録、本の冊数を記録、様々な要素を記録することが必要です。

この記録を「見える化」することで、自分自身の行動の内省することができることで、達成感を得ることができます。

快刺激を得た場合、人間はドーパミンが放出されて「気持ちいい」という感覚が前向きな行動をおこしてくるのです。勉強の効果検証は、どうしてもゴールが長期間になりがちで、なかなかこの刺激を得ることができません。

よって1回毎の結果を見える形で、記録し家族を含めてみんなで共有して、その記録について”認めて”いくことが重要なのですね。

これはアメリカで1700人に実験された「食事記録とダイエット」というテーマですが、ダイエットが必要だと思っている被験者を、2群に分け、一方は気をつけて食事をしてもらう、他方を記録をつけながら食事をしてもらうことを実践しました。結果、記録をつけた群のほうがダイエット効果た2倍も高かったと言われています(この2倍が何に当たるかはわかりません。そのうち論文を探してみます)

この基本理論のもと「レコーディングダイエット」が流行したんでしょうね。

でもやる気を引き出す可能性は「記録」にあると言えます。


次に大事なのは「Peer pressure」です。日本語では「同調圧力」です。

自分の仕事が終わったのに、他の人が終わっていない状況では帰れないみたいなことがあたります。

周りが行っていると、自分もやらざるを得ないような雰囲気になりますよね。僕は逆にみんなが遊んでいるところで勉強することで擬似的に同じクラスの人を出し抜いて勉強しているんだという意識がもてるように、先を走っている感じをだすためにカフェや人が騒がしいところで耳栓をして勉強をしていました。結果短時間で大量のタスクをこなすことができました。これは今でも同じように実施しています。


最後に「Ivy Lee Method(アイビー・リー・メソッド)」が重要になります。

1,明日やるべき6つの項目のゴールを立案します

2,そのゴールに優先順位を番号で振りましょう

3,当日、優先順位から実施します。

4,一日でできなくても、悔やむ必要はありません。忘れます。

5,そしてもう一度明日やることを決めましょう

6,1〜5までを毎日しましょう。


というまさに単純な方略です。

 これは、「選ぶ時間」を短縮することができます。どうしても勉強に腰が重い方は「何からしようかなぁ」という思い悩む時間が長くなってしまって、始めることに時間がかかってしまいます。かのappleの創業者のスティーブジョブスは、毎日同じファッションをします。これは着る服を悩まないことで、決断を早くする事ができるのです。Facebookで有名なマーク・ザッカーバーグも同じです。やるべきことを明確化することは重要です。さらにゴールを達成できることでの自己効力感も高まるので一石二鳥です。

 さらにこの方略の最もいいところは、マルチタスクに陥らないということです。いろいろなことが気になって、一つに集中できないことはよくあります。これもミスがん州立大学の研究で、マルチタスクをしている群と、シングルタスクで事をすすめる群を比較すると、後者のほうが圧倒的な処理速度だったようです。心的負荷量はマルチタスクのほうが軽減しそうですけどね。(嫌なことをやるときに、分散したほうが気持ち的には楽になりそう)


 この「Ivy Lee Method」は社会人になってからでも重要なライフハックなので、ぜひ身につけましょう。


 僕もだいたいやることが4つ以上になってきたときに、この方法を使います。逆に3つまでであればマルチタスクをしても終了することができます。

 こうやって自分自身のスキルのチェックをしなたら実施してみてください。



反復記憶の甘い罠

Dr.関塾 東海大学前校 塾長です。

反復学習の功罪について、書いていきます。




前職場が、教育機関ということでさまざまな生徒と対応することが多かったのです。かなり得y数な環境にいましたので、偏差値が30ぐらいから、60以上までを対応しているような環境です。
簡単に言えば小学校の、生徒の年齢が高くなった状況と思ってもらえればよいかと思います。

この環境下で最も重要なことは「マニュアルが通用しない」ことにあります。偏差値の開きが開けば開くほど、一つの語彙に対しての捉え方が違ってきます。

「問1〜7までを宿題としてやってきなさい」


この言葉に対しても、解釈が多様に生まれてきます。

Aさんは、問1〜7を順序よく解き、その答えをノートに記載していきました。
Bさんは、わからないところは飛ばし、わかるところだけをノートに書いてきました。
Cさんは、問1〜7をやった上で、さらに8〜12までもノートに書いてきました。
Dさんは、問1〜7の答えだけを羅列してきました。


 これ、指示に対する行動としては「全部正解です」
宿題=homework として。自宅でなにかしらの活動をしてきたわけで、さらに問1〜7に「関して」トライしてきたので、なんら問題はありません。

 しかしながら、先生はAさんだけを認め、他の生徒さんを叱責するのだと思います。
「これは”やっていること”にならない」と。

 学習には予習、復習のリズムが必要です。その流れを学生に無意識に掴ませ、先生の手のひらの中に子どもたちを全部入れ込み掌握したいのです。
 確実にそのほうが扱いやすいですからね。

 まぁそんなことはうまく行かないわけです。
 上述の「宿題をやってきなさい」ですらこれだけ多岐にわたるのに、「授業を聞きなさい」もあらゆる方法を使ってきます。学校の授業の運営は本当に大変なのでしょう。

 そういった意味でも個別学習塾は、確実なフォローができるのです。当塾のような個人の能力を見極めたスモールステップを踏むことができるとても稀有な環境なのです。
 ぜひご検討ください 


 さてコマーシャルも終わって、このばらばらの能力を統率するために使われるのが、反復学習です。 
 漢字書き取りを、1つの文字を100回書きなさい とかですね。
 簡単な計算を反復して答えなさい。

 この学習は、見た目の量は増えるので、「やったように」見えるのです。では学習効果はどうでしょうか。

 暗記するという一側面とすれば、効果があるような気もしますが、その回数や頻度は適しているかは、個人ごとに違います。1回で覚えてしまう場合もありますし、300回書いても覚えないこともあります。これは各個人で工夫する必要があるのです。よって、「反復学習をしたことで、学習した」と捉えるのは、浅はかとなります。
 お子様のノートを見てたくさん書いてあったり、問題がたくさん書いてあれば、うちの子はたくさん勉強していると思うのではなく、その”意味”をちゃんと把握しているかを確認するべきです。

 なぜこの漢字はこの形なの? 音読みと訓読みの違いはどんなところで使われるの?
 ここで割り算しているけど、なぜここでこの数字で割るの?


 そういった理解度が問題を”解く”ことでは重要なのです。
 試験問題は基本、教科書に出ていない問題を扱います。
 教科書に出ていないとは、問うてる意味は変わらず、数字や質問する方向性を少し変えて行うのです。要は答えの丸暗記では全く通用しないことになります。

 反復学習はこの丸暗記には向いていますが、物事の本質を捉えているかといえば、そうでもない学習方法です。この点はご家族がチェックしていかねばならないようですね。



令和の学習方法


先輩とか講師に勧められた書籍や参考書がすでに廃盤になっていたりすることもあります。

確かに上の世代ではですねそれが一番わかりやすい教科書だったかもしれないですけど、今の時代となってさらにわかりやすく書かれた本たくさんあることもよくあります。

それぐらい勉強事情というのは時代によって変わってくるものなのです。





では、今どんな方法が”ホット”か?

それは”学習アプリ”の進化が凄まじいいです。






最近の勉強のためのツールってめちゃくちゃ進化してるなぁと思います


まずこれらを実践するには、3つの道具が必要になります。


スマートフォン
タブレット
ワイヤレス・イヤフォン


これらは、あるとかなり学習効果を上げることができます。




まず、スマートフォンです。


いわずもがな、様々な機能がついている電話。

これを与えるかどうかはたいへん悩むところですね。ポイントは2つ。

・SIMを与えない
・WiFi接続のみとする
・購入とダウンロードを制限する

これをしておくだけで、随分と安全な機器になります。アプリのDLに関しては親が管理することで、子供が勝手に外部の人とつながることを抑制できます。



最も大事なことは「なんでもできるスマートフォン」から「勉強のためのスマートフォン」にしてしまうことです。機能制限の方法をまずは理解していきましょう。


スマートフォンの使い方としては、2つです

1)youtubeの動画教材
2)アプリによる学習

です。


1)では、youtubeを自由に見せることはなるべくしたくないところです。さまざまなコンテンツがありますので、勉強と違うものを見てしまう可能性もあります。


そこで、「YouTube キッズ」というアプリをダウンロードしましょう。


このアプリは、「子供向け」とyoutube側が認定したものだけを表示するもので、大人向けのコンテンツなどは表示されません。これだけでもよいのですが、逆に「子供が興味を持ちそうなコンテンツ」がたくさん表示されてしまいます。アニメから、子どもyoutuberなども出てきてしまいます。


 ここからもう一歩先に設定を行うと、「親が許可した動画だけを表示する」というモードがあります。この設定を行うことで、子供の視聴範囲を完全に設定することができます。



 これらにより、勉強動画用アプリケーションとして、youtubeを使うことができるのです。

動画による学習のメリットは同じ単元を何度も学習できることにあります。

わからなければ何度も同じところをリピートできる。このメリットは一般授業にはありえないのです。

 今の時代ならではなんでしょうね。かくいう僕もyoutubeをつかってプログラミングの勉強をしています。様々な講師がいて、課題もバラバラ。自分の難易度に合わせて選べるのも嬉しいところです。いまではPythonでかんたんなコードならばかけるようになりました。




鉛筆をなかなか持たない、ノートに向かわない、椅子に座ってられない、いわゆる学習性無力感を持っているお子さんの特徴です。そのきっかけになるのは、遊び感覚で勉強ができることだと思います。さらに最近のアプリケーションは開発に次ぐ開発で、あらゆる方面から実施できる工夫がなされています。


次にタブレットです。

 タブレットはこれまた様々な物があって悩みます。スマートフォンと同じようにうまく制限ができないといけません。やはりおすすめはiPadだと思います。

 特に10インチ以上のものを選びましょう。画面が大きいことは視認性を良くするので姿勢も良くなるはずです。

 さらにiPadのよいところは、スプレットビュワーができることです。画面を分割することができるんです。(android7以降はマルチウィンドウが同じ機能に当たります)

 これにより1画面内に、勉強動画をみながらノート画面も出せることになります。

 たとえば、論文を書く場合、参考となる本の論文をみながら、抜粋したり、文章の構成を考えたり、下手すると3つも4つも資料を見比べて作成しなくてはいけないこともありました。

 机の上は書類だらけで、苦労したのを覚えています。


 でも、iPadがあれば、これらをひとまとめとして閲覧できたり、比較できたりすることは、まさに脳機能における「ワーキングメモリー」をフル活用している状況になります。

 そんなことがタブレットでできるのは、すばらしいことです。これは使わない手はないと思います。参考書なども電子書籍などで販売しているので、持ち歩く必要もないんですね。


ほんとうの意味で「タブレット一台で勉強ができる」時代がここにきています。


最後にワイヤレスイヤフォンです


 イヤフォンのいいところは、外界から情報を遮断できることです。

やはり、いくら集中していると言っても、小さな音で気が散るということは、特に多感なお子様にはあることです。

音楽を聞きながらというのは、非効率ではありますが、ノイジーな音をシャットアウトするだけでもかなり有益になります。そして大事なのはワイヤレスイヤフォンがおすすめ。

とくにノイズキャンセラー付きがあればなお良いでしょう。

有線のイヤフォンは取り回しが大変だったり、感覚刺激として首周りにカサカサしたり、安いですけどおすすめできません。

なくさないように意識して耳栓のようにイヤフォンを使うことが重要です。


また、結構重要なのは、「独り言」なのです。

ぶつぶつとわかったことを、つぶやくと耳栓をしていると口の中から頭に音が響いて自分の声が大きく聞こえます。この再度自分の声を聞くことで認識を強めることができます。

学習中に独り言をいうお子様には、ぜひそのくせを止めないようにしていきましょう。ただし「言行一致」という言葉があり、言霊は自身にふりかかります。

マイナスな言葉を、口に出す場合には、注意したほうがいいでしょう。時々「こんな問題もできないのは僕は馬鹿だからだ」「もう嫌だ、こんな問題とくの」とネガティブな言葉を出す生徒もいらっしゃいます。それは勉強中に外に出さないほうがいいでしょうね。


 さて次回は本格的に使える学習アプリについて、書いていきます。
 実体験も入っているので、少々長くなるかもしれませんが、お付き合いくださいませ。



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